国登録有形文化財「旧西廣邸」公開 網元の歴史を伝える館とまち歩きも
2026/3/6
銚子の代表的な網元の一つ「西廣家」の旧邸宅が、現在、個人オーナーの厚意により一般公開されている。母屋を中心に、江戸期の蔵やレンガ塀などが残り、往時の網元の権勢を今に伝えている。
公開時には銚子市社会教育課 文化財・ジオパーク室 文化財班がガイドボランティアスタッフと共に、館内案内とまち歩きガイドを担当している。
公開時には銚子市社会教育課 文化財・ジオパーク室 文化財班がガイドボランティアスタッフと共に、館内案内とまち歩きガイドを担当している。
質屋から網元へ 意外なルーツ
西廣家の初代は紀州(現・和歌山県)から銚子へ渡り、当初は漁業ではなく質屋を営んで財を成した。2代目・治郎吉氏の代から網元へ転じたという、銚子では珍しい成り立ちを持つ家系だ。
母屋は明治10年(1877年)築。敷地内には江戸時代の蔵も残り、銚子の漁業史と商家文化を物語る貴重な建築群となっている。
母屋は明治10年(1877年)築。敷地内には江戸時代の蔵も残り、銚子の漁業史と商家文化を物語る貴重な建築群となっている。
大漁の誇り万祝と書院窓のガラス障子
館内には、大漁時に網元から役職者へ配られた晴れ着「万祝(まいわい)」が展示されている。
西廣家の印「角久(かくきゅう)」が染め抜かれ、「御嶽」の文字も確認できる。西廣家は長野県の御嶽山を深く信仰し、船名をすべて「御嶽丸」と名付けた。
二階には銚子の網元としての誇りを象徴する「投げ網」「犬吠埼灯台」「帆船」を、東京から招いた職人が繊細な組子細工で表現したガラス障子がある。上部の緻密な欄間装飾とともに、網元らしいデザインが随所に見られる。当時西廣家が誇った圧倒的な財力と美意識を今に伝えている。
西廣家の印「角久(かくきゅう)」が染め抜かれ、「御嶽」の文字も確認できる。西廣家は長野県の御嶽山を深く信仰し、船名をすべて「御嶽丸」と名付けた。
二階には銚子の網元としての誇りを象徴する「投げ網」「犬吠埼灯台」「帆船」を、東京から招いた職人が繊細な組子細工で表現したガラス障子がある。上部の緻密な欄間装飾とともに、網元らしいデザインが随所に見られる。当時西廣家が誇った圧倒的な財力と美意識を今に伝えている。
万祝(まいわい)
組子細工ガラス障子
網元の暮らしを今に伝える
第二次世界大戦中、銚子は東京への食糧供給拠点として空襲の標的となり、市街地の約半分が焼失した。しかし旧西廣邸周辺は奇跡的に戦火を免れた。
母屋には黒灰瓦なども残り、高い上がり口は、かつて網元が従業員へ号令をかけた場所。奥には住み込みの女中たちの部屋も残り、1人1畳ほどの空間で肩を寄せ合って暮らした様子がうかがえ、当時の建築文化を今に伝えている。
母屋には黒灰瓦なども残り、高い上がり口は、かつて網元が従業員へ号令をかけた場所。奥には住み込みの女中たちの部屋も残り、1人1畳ほどの空間で肩を寄せ合って暮らした様子がうかがえ、当時の建築文化を今に伝えている。
敷地内にある缶詰加工工場
工場内部
まち歩きで漁師文化を体感
公開日は毎月第2・第4日曜日。午前10時30分からは文化財ガイドによる約1時間のまち歩きツアーを実施する。
コースは、西宮神社、和田不動尊、川口神社、漁港などを巡り、銚子の漁師文化や港町の歴史を解説する内容となっている。
現在、旧邸宅は建築家であるオーナーの手によって少しずつ修復が進められており、庭には河津桜が植えられるなど、新たな地域の憩いの場としての再生も進んでいる。(飯田)
コースは、西宮神社、和田不動尊、川口神社、漁港などを巡り、銚子の漁師文化や港町の歴史を解説する内容となっている。
現在、旧邸宅は建築家であるオーナーの手によって少しずつ修復が進められており、庭には河津桜が植えられるなど、新たな地域の憩いの場としての再生も進んでいる。(飯田)





